「父と呼んでも良い」 08.03.30
ガラテヤ 4:1〜7
主イエス・キリストは、「父よ」と呼びかけて神に祈りました。
それは、深い信頼の心を持ってなされる呼びかけでした。
主イエスは、弟子たちに「主の祈り」をお教えになった際に、
弟子たちも神さまに「父よ」と呼びかけて良いことをお教えに
なりました。「あなたも、私と同じように、父よ、と呼びかけたら
良いのだよ」と、私たちにも語ってくださいます。
神さまは、預言者を通して、父親のようなご自分の姿を示して
おられました。それは、失敗をして泣きながら帰って来る子を
慰め、導く父親のような姿でした(エレミヤ31:9)。また、かけがえの
ない子を見て喜び、子に深く心を留め、子のゆえに胸が高鳴り、
子を憐れまずにはいられない父親のような姿でした(同31:20)。
そのような神さまが、人から深い信頼を持って「父よ」と呼びかけ
られることを願っておられます。
主イエスは、「父よ」と呼びかけることを教えてくださった後、
自分の子どもに良いものを与える親の姿を用いて、神さまの
ことを教えてくださいました(ルカ11:9〜13)。子どもが親に求める
ように、父なる神さまに求めるのです。ビクビクして何も言わない
関係は、決して良いものではありません。神さまは、悪いものを
与えることなく、良いものを与えてくれます。また、家を飛び出して
放蕩を尽くした子の呼びかけにも、喜んで走り寄ってくる親の姿を
通して、神さまもことを教えてくださいました(ルカ15:11〜24)。
大きな失敗をし、子と呼ばれる資格はないと自覚している子で
あっても、大喜びで駆け寄ってくる父のような神に、恐れることなく
「父よ」と呼びかけたら良いのです。
天地の造り主なる神さまに「父よ」と呼びかけられるのは、神の
独り子である主イエスだけです。しかし、その主イエスが、ご自分の
周りにいる弟子たちを指差しておっしゃいました。「ここにわたしの
兄弟がいる」(ルカ12:49)。
主イエスが兄弟でいてくださるゆえに、私たちは「父よ」と
呼びかけます。そして私たちの祈りに、主イエスも声を
合わせてくださいます。